おかげさまで80周年
中部電力グループ

創業からの70年 昭和43~53年度

第3章激動の時代

축구 배당률

축구 배당률축구 배당률経済成長の終焉

1.ドルショックとオイルショック

昭和40(1965)年11月以来、年平均12%の축구 배당률成長を続けてきたわが国経済は、45年に入ると景気過熱の兆候が現れはじめ、次第に好況感が薄れてきた。

48年に入って、再びドルが引き下げられたのに対抗して、わが国を含め主要国は一斉に変動相場制に移行した。日本経済は不況のなかで激しい物価高騰に襲われ、いわゆるスタグフレーションの状態に陥った。

同年10月、第四次中東戦争が勃発した。原油価格はバーレル当たり2ドル台から12ドルへと急上昇し、第一次オイルショックと呼ばれた。축구 배당률成長の過程で石油依存度を極端に高めた日本の受けた打撃は深刻であった。トイレットペーパーや洗剤の買い溜め騒ぎや、狂乱といわれた物価上昇のなかで、政府は総需要の抑制を図り、石油と電力の消費を規制した。

2.電気축구 배당률の動向

冷房の著しい普及によって、中部電力の最大電力の出現時季は昭和45(1970)年以降、従来の冬季から夏季に移り、夏季の著大化は電力供給上の大きな問題となってきた。同社は45年から10年間に合計850万kWの電源開発を行ったが、なかでも浜岡原子力発電所1・2号機は同社の原子力開発の先駆けとなった。脱石油依存の動きが強まり、53年には液化天然ガス(LNG)が初めて導入された。

3.축구 배당률界の動向

昭和47(1972)年4月には建設業法が施行され、軽微な建設축구 배당률のみを請け負う者以外は、建設大臣または都道府県知事の許可を受けないと営業できないことになった。1,000万円以上の下請契約を締結して施工する業者は特定建設業とし、一般建設業と区別された。

当社は登録制度のもとで38年10月以来、総合業者とされてきたが、法改正により48年8月、特定建設業者となった。その際、許可を受けた建設業種は土木工축구 배당률、電気工축구 배당률、管工축구 배당률、機械器具設置工축구 배당률の4種類であった。

電気工事については、45年に電気工축구 배당률法(電気工축구 배당률の業務の適正化に関する法律)が制定された。電気工事に従事する者の資格・義務は「電気工事士法」によって規定されているが、通常、電気工事士は電気工축구 배당률者の従業員として作業に当たっているため、同業法は工事士を雇用している電気工축구 배당률者の責務を明らかにするものであった。

この法律により、電気工축구 배당률者は都道府県知事の登録を受けることや、その営業所ごとに主任電気工事士を設置することを義務づけられた。しかしながら、当社のように建設業法の適用を受けている建設業者については二重規制となることから、登録の規定は適用されなかった。