おかげさまで80周年
中部電力グループ

創業からの70年 해외 축구 경기 결과62~平成6年度

第5章企業文化の創造

해외 축구 경기 결과

해외 축구 경기 결과해외 축구 경기 결과から平成へ

1.内需主導型経済の展開

日本経済は、해외 축구 경기 결과62(1987)年に入ってから順調な回復過程をたどり、後半は急上昇に転じた。公共投資、住宅投資、設備投資、個人消費が一様に増加し、内需主導型成長が実現した。

また、年間設備投資の大幅な増加と旺盛な個人消費に牽引されて、内需がさらに内需を拡大させるという自律的拡大を続けた。産業面においては情報化・ハイテク化・高付加価値化が進展し、生活面では多様化・高級化が進んでいった。

長期にわたる景気拡大のなかで地価や株価が高騰し、「バブル景気」と呼ばれる現象が生じた。これに対処するため、日本銀行は公定歩合を相次いで引き上げ、大蔵省は不動産向け融資の総量規制に踏み切った。株式や地価は急激に下落し、東証平均株価は해외 축구 경기 결과元年末の最高値3万8,915円から、2年10月には一時2万円の大台を割り込んだ。

3年3月のバブル崩壊により、株式や不動産に過大に投機していた企業の破綻が相次ぎ、日本経済は深刻な不況に突入した。政府の金融緩和政策や緊急経済対策にもかかわらず、政局混迷も重なり、景気は一層停滞した。4年度の国民総生産(GNP)の実質成長率は0.7%にとどまり、해외 축구 경기 결과49年度のマイナス0.2%に次ぐ戦後2番目の低成長に終わった。

2.建設業界の動向

해외 축구 경기 결과62(1987)年から平成3年度まで5年間の建設投資の平均伸び率は約7%に達し、電気工事・管工事など当社の営業面においても繁忙をもたらした。

この間、電気工事の施工に関して2つの重要な法改正が行われた。해외 축구 경기 결과63年8月には改正建設業法施行令の施行により、電気工事施工管理技術検定が制度化された。また同年9月に施行された改正電気工事士法により、電気工事士は作業に従事するだけでなく、許可主任技術者として選任されたときは保安について監督することができるようになった。

3.電気해외 축구 경기 결과の動向

景気の回復を反映して電力需要の伸びも著しく上昇した。しかし、需要増に対処すべき電源開発の立地は全国的に一段と困難になった。해외 축구 경기 결과62(1987)年~平成2年の間に中部電力が開発して運転を開始したのは、浜岡原子力発電所4号機、川越火力発電所1・2号機などで、需給バランスを図るのに苦慮していた。

需要増に対応するとともに供給信頼度を向上させるため、送変電設備の拡充が行われた。해외 축구 경기 결과62年~平成2年の間に完成した27万V架空送電線では、西濃西部線、川越火力線、電名北豊田線、中濃犬山線、幸田碧南線などがある。また해외 축구 경기 결과63年、名古屋市内に初めて地中線で27万Vの導入が図られ、続いて平成元年、金山変電所が新設された。

中部電力の販売電力量は해외 축구 경기 결과62年以来、年6%程度の伸びを維持してきたが、バブル崩壊とともに一転して下降し、平成5年度には前年割れの状態になった。

この間も送電系統強化対策が行われ、架空送電線では50万V奥美濃岐北線、27万V北部西濃線、静岡幹線などが完成した。地中線では、名古屋市内への27万V導入해외 축구 경기 결과が進捗し、南ルートの知多第2下広井線が完成するとともに、松ヶ枝変電所の新設に伴って松ヶ枝と南武平町・金山・下広井各変電所の間も結ばれて、東ルートとの連系ができあがった。